自己紹介

はじめまして、本名は 田口 洋一 です。1987.8.7生まれ獅子座のA型です。

 

 

この逃避画家療法を運営してます、現実逃避画家TAGUとして絵を描き、記事を書いていこうと思ってます。

栃木の田舎で日々憤り、怒りを感じ、それを絵を描いて癒すという日々を送っています。ここではもう少し掘り下げて自分の紹介をしていこうと思います。

 

 

癒しを求め描いた絵

 

 

 

内向的落ちこぼれ高校生が絵と出会う

あまり自分の意見を言えない高校生だった。意見はあったのだろうけど。。。

協調性はあったのかもしれないが、どちらかと言えばそうせざるえなかったというのが本音。

進学校に通っていたので勉強に力を入れていた学校だった、周りの友達は頭が良かったし、また

意欲的に勉強もしていた。でも僕はと言えばやる気は全然起きなくて、ほとんど勉強なんてしなかった。やる意味を見出せないでいた。将来のことなんて漠然としていて考えられなかった。

 

在学中、数ある模試を受けさせられたが、やりたくなくて泣いたほどだ。笑

もちろん、周りの友達は知らない、担任の先生しか知らない。

とにもかくにも勉強が泣くほど嫌いでどうしようもない高校生であったのは間違いない。

言葉にして言うことができない内向的人間の最後の抵抗だったのかもしれない。笑

 

 

周りには勉強でついていけなかったけれど、大学には進学しなければいけないと思っていた。

そんな時にクラスの女子が美大に行くと言っているのを聞いて興味がでてきた。

『絵を描くほうが絶対楽だ』

ダメな高校生が考えそうなことである。

こうして、ダメな高校生は絵と出会った。不純な出会いだったが、高校生に不純は付き物である。

 

 

 

人格と外見が激変する浪人生活

ダメな高校生、当然浪人です。

高3の夏より美術系の予備校に通い出したが、すぐうまくなるわけもない。

ダメな高校生からダメな浪人生へとクラスアップ。

 

 

 

ダメな浪人生は、当然に目指す。

東京芸大に行こう!』と

(補足ですが、東京芸大は美大の最難関であり、当時2浪3浪して目指すのは当たり前だった)

そしてこの日より人格が少しずつ変わっていく。

 

 

 

 

 

受験戦争とよく言ったもので、ヤルかヤラレルか。

毎日描いた絵に順番がつく世界、他人を蹴落としてでも、、、

 

 

 

 

 

月日は3年たった。そう、ダメな浪人生、3浪です。

ホームレスの様に髪はボサボサで乳首が隠れるほど長髪、最後は家族以外と口を利くことがなかった。

3年が20年に感じるほど変わり果てた外見。中身も当然、攻撃的になっていた。笑

 

 

ダメな浪人生はダメな大学生となった。

3浪が自分 の限界、当然第一志望の東京芸大には受からず、滑り止めの大学になんとか入学できた。

入学から1年目は人と話すのが久々すぎてうまく話せなかったのを覚えている。

3年もあれば人はこうも変わってしまうと思うと恐ろしい。笑

 

 

『妥協の美』を身に着けた大学生活

妥協というとネガティブなイメージを多くの人が持っていると思うが、僕はそれだけとは思わない。

そう考えられるようになったのがこの大学生だった。

デザイン学科を目指していた僕だが、入学した学科は写真である。

なんで写真なのか?

入れるのがそこしかなかった!!

 

非常に大きな妥協ではあるけれど、結果としては腐ることもなく大学生活を満喫した。笑

今まで描いていた絵とは違うけど、写真を学ぶのは楽しかったし、創作活動も依然として楽しんでできた。

クレヨンとクーピーの違いくらいのものだね。笑

けれど、この妥協をするということも結構勇気がいることだったりする。

極端な話かもしれないけど、妥協ができないから、時に心を患い、時にストーカーになる。

妥協とは様々なことに適応する応用力がないとできないことかもしれない。そう思うと妥協にはある種の美しさを感じる。

現実逃避画家を名乗るのきっかけに少なからず関わっている気づきだった。

ともあれ、ダメ大学生は就活を一切せず、社会人になる。

社会人になり絵との再会を果たす

ダメな社会人か?はい当然にダメな社会人です。

就活も特にせず、コネを使い会社員となった。

お金を稼げればなんでもいいと、軽い考えで特に付きたいと思う仕事もなかった。

お金を自由に使えるというのは素晴らしいことで楽しいことはたくさんある。

夜な夜な街に繰り出したり、ギャンブルをしたり、旅行に行ったり、貯金もせずに遊んでいた。

ただ、遊びとは飽きるもので3年もすれば、楽しさはなくなり虚しさが残る。

そして仕事のストレスが溜まる。

急に絵が恋しくなった。